浅川 直紀
25年度の実施計画
平成25年度は、ノイズ発生源に適した物質を探索し、確率的閾値素子の開発を行う。物質探索の際には、形状の大きな変化を伴わない構造相転移やガラス転移に着目し、その転移と、巨視的な電気物性との相関が大きな物質を探索する。特に、室温付近での秩序-無秩序相転移やツイストガラス転移を有するパイ共役系高分子であるポリアルキルチオフェンが有力候補である。確率的素子の開発の達成度を見極めつつ、試作される素子を基に、ノイズ駆動センサおよびノイズ駆動スイッチの開発に着手する。両者はいずれも確率的閾値素子から作製可能であり、技術課題が共通している。具体的には、抵抗加熱式真空蒸着法により金属電極を、スピンコート法等により高分子薄膜を作製し、ガラス基板または、シリコン基板上に素子を作製する。素子の電気特性は、ソース・メジャーメントメータやLCR メータにより、本年度購入予定のターボ分子ポンプを装着した真空チャンバーを用いて行う。適宜、プラズマ処理や化学的処理により基板表面のぬれ性を制御しつつデバイス素子の作製を試みる。
本研究が考案する生体型情報処理デバイスの基本素子である「確率的閾値素子」は構成的に二つの世代に分け
られる。第一世代素子は、(i) ノイズ発生部と(ii) 閾値判断部から構成される。ノイズ発生部には、パイ共役系高分子の室温付近での秩序無秩序相転移やツイストガラス転移といった熱異常点の近傍での大きな時空間ゆらぎを用いる。また、閾値判断部には、パイ共役系高分子の非線形電場応答特性を用いる。パイ共役系高分子を用いる利点は、ノイズ発生と非線形電場応答性の二つの特性を同時に持ち合わせることが可能と予想される点である。
25年度の実施報告
平成25年度は、パイ共役系高分子を中心に、ノイズ発生源に適した物質を探索し、確率的値素子の開発に着手した。物質探索の際には、形状の大きな変化を伴わない構造相転移やガラス転移に着目し、その相転移と、巨視的な電気物性との相関が大きな物質を探索した。その結果、構造様式制御型ポリ(3-デシルチオフェン)[RR-P3DT]が室温付近において、ポリ(3-ヘキシルチオフェン)[RR-P3HT]に比べて電気伝導度の大きな時間ゆらぎを有していることがわかった。このゆらぎは、複数伝導状態間の準確率的な遷移によるノイズ発生であり、マルチプルトラッピングとその熱的解放(MTRモデル)の枠組でのトラップ充填転移近傍のゆらぎが原因であることが示唆された。さらに、ノイズ測定により、このゆらぎのノイズパワースペクトル密度は、印加電圧の上昇に伴い、f-2型からf-1型へ変化することが分かった。このことは、印加電圧によって、ノイズパワースペクトル密度を制御することができることを意味しているため、ノイズ駆動型の信号伝達の際に重要な役割を担うと考えられる。確率的値素子の研究開発に並行して、電界効果がゆらいだ電界効果トランジスタ(FET) の開発も行った。この不安定動作のFETには
、パイ共役系高分子の相転移現象と結合した、確率的な負性抵抗現象を伴う非線形電流電圧特性といった準確率過程を用いることとした。現時点では、ゆらいだFETを作製する前段階として、安定動作するボトムゲート型およびトップゲート型高分子FETを作製し、共に、飽和領域を有する双安定特性を有することが分かった。また、確率共鳴現象の計測セットアップを構築し、既存の金属酸化物電界効果トランジスタ(MOSFET)を用いた確率共鳴分光測定を確立した。現在、RR-P3HTおよびRR-P3DTを用いた確率共鳴現象の発現を行っている。
26年度の実施計画
前年度に引き続き、ノイズ発生源の物質探索と確率的閾値素子の開発を行い、確率的閾値素子の作製とその周辺技術を確立する。さらに、確率的閾値素子を用いたノイズ駆動センサおよびノイズ駆動スイッチの開発を行う。以上の研究課題と並行して、確率的閾値素子に一方向信号伝達性能を付与するために、(i)確率的電界効果トランジスタ(FET)と(ii)確率的光電変換性能を有する確率的フォトカプラの開発を行う。
FETの開発では絶縁膜の開発がキーとなることが多いが、本研究では、確率的動作の発現にも注力する。確率的フォトカプラは、高分子エレクトロニクス(EL)素子と光起電力(PV)素子から構成され、FETの場合と同様に、確率的挙動の発現に注力する。これらのデバイス素子が確率的挙動を示すために、高分子薄膜を金属電極でサンドイッチした縦型素子の場合にしばしば観測される負性微分抵抗性を伴ったスイッチング現象に注目する。より具体的には、EL素子としては、ポリフルオレン(PFO)系のものを考えている。PFOは熱処理や溶媒アニーリング処理によってα相、β相、ネマチック(N)相、非晶の各状態を作製可能である。各相を用いた素子に対して、スイッチング現象の準確率性の有無を検証し、不安定な挙動を積極的に用いたEL素子を開発する。一方、PV素子にはポリアルキルチオフェン(P3AT)系とフラーレン誘導体を用いた典型的なバルクヘテロジャンクション型のものを予定している。P3HT以外のP3ATは従来の意味での太陽電池の光電変換効率は劣るが、光電変換効率の確率性という新たな観点からは魅力ある物質系であると考えられる。本研究では、このような確率的な光電変換効率を有するPV素子の研究開発も併せて行う。上述のEL素子とPV素子の両方またはいずれか一方の素子の確率的挙動を示すことができれば、確率的なフォトカプラの実現が可能となり、一方向信号伝達性能を有するシナプス模倣素子の実現が可能となる。以上の研究を行い、平成26年度は最終年度として研究全体の総括を行う。
26年度の実施報告
26年度は、ニューロン模倣型の確率的閾値デバイス素子の作製を目指して研究を行った。生物の柔軟な信号伝達/情報処理に重要な素子の「確率性」は、構造様式制御型ポリ(3-デシルチオフェン)[RR-P3DT]のキャリアトラップ充填転移付近の確率的な電気伝導特性を利用した。示差走査型熱量(DSC)計測と温度可変固体高分解能C-13核磁気共鳴(NMR)計測より、このキャリアトラップ充填転移はRR-P3DTのチオフェン環のツイスト運動と相関をもっていることが明らかとなり、分子運動のゆらぎが巨視的な物性ゆらぎを生じさせていることがわかった。さらにノイズ計測の結果より、キャリアトラップ充填転移を境界として、ノイズのパワースペクトル密度の関数型が、低電圧側ではDebye型、高電圧側では1/f型であることがわかり、印加電圧によってノイズのパワースペクトル密度関数の関数型の制御が可能であることが明らかとなった。このことは、ノイズ駆動型信号伝達デバイスやスイッチデバイスの実現によって重要な技術要素となる。
さらに、確率的電界効果トランジスタ(FET)の研究開発を行った。具体的には、RR-P3HTやRR-P3DTを用いた有機FETを作製し、トランジスタ性能を確認した。この結果より、信号の一方向伝達性能を実現することができたが、その挙動に顕著な確率性は見出すことができなかった。一方、RR-P3ATとフラーレン誘導体を用いたバルクヘテロジャンクション型の確率的光起電力(PV)素子を作製したところ、RR-P3DTを用いた場合に、確率的な光起電流の発生を確認した。この現象はRR-P3HTを用いた場合には観測されなかったことから、上述したようなRR-P3DTの室温付近での電気伝導のゆらぎが原因ではないかと考えられる。この結果より、部分的に確率的フォトカプラを作製することができたと言える。
以上のように、本研究によって研究開発された確率的閾値素子および確率的フォトカプラは、生物模倣型信号情報処理デバイス実現のための基本素子となることが明らかとなった。